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浅草寺の概要

浅草寺は、都内最古の寺院で、年間3000万人が訪れる信仰と観光の一大スポットでもある。
飛鳥時代に檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川で漁を行っている折、一躰の観音像を引き上げる。
郷司の土師中知が、この観音菩薩に帰依し、自宅を寺に改め供養した。
645年、勝海上人がこの地を訪れ観音堂を建立し、ご本尊である観音菩薩を秘仏と定める。
平安初期には、比叡山天台座主3世の慈覚大師円仁が訪れ、秘仏に代わるお前立ちのご本尊を彫られた。
鎌倉時代に将軍の帰依を受けた浅草寺は、伽藍の荘厳が増し、江戸時代に徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、さらに堂塔が整い大きく繁栄する。

住所 東京都台東区浅草2-3-1
TEL 03-3842-0181
休業日
営業時間
料金 無料
アクセス 浅草駅より徒歩2分
駐車場 なし
ホームページ http://www.senso-ji.jp/

※データは取材時のものです。実際とは異なる可能性がございます。

見所と詳細情報

雷門

雷門は境内入り口にあり、浅草寺の総門であると同時に、浅草の顔とも言えるシンボル的な門。右に風神、左に雷神を祀り、風雷神門とも呼ばれる。942年、平公雅によって創建されたのが始まり。1865年の大火で消失したが、昭和35年に松下幸之助の寄進により復元された。

仲見世通り

雷門と宝蔵門の間の参道脇にはおみやげ屋をはじめとする商店が軒を連ねる。この仲見世通りでのおみやげ購入や食べ歩きは浅草観光の大きな楽しみのひとつ。

鎮護堂

仲見世通り横の伝法院の前に佇む鎮護堂は、通称「お狸さま」と呼ばれ、火防・盗難除けの守護神として信仰が厚い。

宝蔵門

941年に平正雅により建立された宝蔵門は、後に焼失と再建が繰り返された。現在のものは昭和39年に浅草寺の宝物の収蔵庫を兼ねた山門として鉄筋コンクリート造で建てられた。

弁天堂

宝蔵門の脇の弁天山と呼ばれる小高い丘に建つお堂が弁天堂。お祀りする弁天さまは白髪のため「老女弁財天」と呼ばれ、江の島、布施とともに関東三弁天の一つに数えられる。縁日の「巳の日」にお堂の扉が開き、法楽が営まれる。

五重塔

942年に平公雅が本堂と共に建立したもの。その後、焼失と再建が繰り返され、徳川家光が再建した国宝の五重塔も戦中に戦火で消失している。現在の五重塔は昭和48年に再建されたもの。

本堂

942年に平公雅が建立した本堂は、焼失と再建が繰り返され、徳川家光が再建した国宝の旧本堂も戦中に戦火で消失している。現在の本堂は1958年に、鉄筋コンクリート造、本瓦葺で再建されたもの。

二天門

二天門は、重要文化財指定されている。1649年頃に浅草寺の東門として建立されたが、江戸時代には浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮の随神門となった。その後、東照宮は消失し、明治の神仏分離令により門に安置されていた随身像は二天像に代わり二天門と改称された。

薬師堂

当初は観音堂の北に位置していたが、1649年に徳川家光公により北西に再建され、堀にかかる橋の袂にあったため橋本薬師堂と呼ばれるようになる。平成6年に現在の位置に移された。浅草寺に現存する古建築の中でも二天門や六角堂に次ぐ歴史がある。

影向堂

観音さまのお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている影向衆をお祀りするお堂。元々は本堂の南東側にあったものが平成6年に再建された。

淡島堂

元禄年間に紀州加太の加太神社を勧請して淡島堂は建立された。加太神社は淡島という小島に鎮座し淡島明神と呼ばれていたため、淡島堂と称される。現在の淡島堂は旧影向堂(戦後の仮本堂)を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来。

銭塚地蔵

江戸時代に摂州有馬郡の山口という者の妻が庭先で寛永通宝が入った壺を掘り当てるが、これに頼って働かないと家が滅びると考え再び埋めたという。この心がけで家は繁栄したため、その壺の上に地蔵尊を祀ったものが事地蔵堂である。

地図とアクセス

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