岡山後楽園の概要
岡山後楽園は、17世紀末に岡山藩2代藩主池田綱政によって造営された大名庭園。
岡山城とは旭川を挟んだ対岸に位置する。
大正11年には名勝に指定され、昭和27年には特別名勝に指定された。
金沢の兼六園、水戸の偕楽園と合わせて日本三名園としてその名を知られている。
住所 | 岡山県岡山市北区後楽園1-5 |
TEL | 086-272-1148 |
休業日 | 年中無休 |
営業時間 | (3月20日~9月30日)7:30~18:00 ※入園は17:45まで (10月1日~3月19日)8:00~17:00 ※入園は16:45まで |
料金 | 大人400円・高校生以下無料 |
アクセス | 岡山駅より徒歩25分 |
駐車場 | 1時間100円 |
ホームページ | http://okayama-korakuen.jp/ |
※データは取材時のものです。実際とは異なる可能性がございます。
見所と詳細情報
延養亭
入口付近にある延養亭は、藩主の居間で園内外の景勝が一望できるように作られている。戦災にて焼失するが、昭和35年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元された。
能舞台・栄唱の間
能舞台の周囲の座敷は、能の見所や接待の場として使われたもの。築庭した池田綱政は、家臣や領民にも能を見せたという。次の藩主継政の時代に改築されるが、戦災で焼失する。現在のものは復元されたもの。
広大な園内
園内に足を進めると開けた広大な景観が目に入ってくる。地形にほぼ起伏がない平らな庭園となっているため、広大さを感じることが出来る。バックには岡山城も姿を覗かせる。
沢の池
園内中央にある池で、島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島がある。中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えている。
花葉の池
大輪の白い花を咲かせる蓮の一天四海(通称・大名蓮)が夏に見頃となることから花葉の池と呼ばれる。池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちる。
大立石
巨大な花崗岩を九十数個に割り、元の形に組み上げたもので、築庭に当たり池田綱政が運ばせたもの。大名庭園ならではの豪快さと、石の加工技術の高さが伺える。
二色が岡
この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える林となっていた。今は杉が中心となり、野鳥の飛来する静かな林となっている。
茂松庵
築庭当時、二色が岡は山桜・楓・松で覆われており、この建物は花葉軒と呼ばれていた。歴代藩主はこちらで茶の湯を楽しんだという。明治時代に茂松庵と名称が変わり、戦災にて消失するも、園内で最初に復元された。
地蔵堂
二色が岡にひっそりと佇む地蔵堂は、園内の六鎮守の内の一つ。
廉池軒
戦災を免れた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えている。廉池軒からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができる。
唯心山
唯心山は池田綱政の子である継政の時代に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化した。山腹には唯心堂があり、斜面には石組に合わせてツツジやサツキが植えられ季節の花で彩られる。
唯心山山頂からの眺望
園内中央付近にある唯心山に登ると、高い位置から園内を一望できる。抜群の眺望で絶景を拝める。
花菖蒲畑と八橋
花菖蒲畑には六月上旬には白や紫などの見事な花が見られる。曲水に板を渡した八橋の側には杜若が見られる。
流店
流店は、中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物。藩主の庭廻りや賓客の接待などで休憩所として使われた。戦災を免れた建物の一つで、簡素な佇まいを今に伝える。
花交の池
築庭当時は山桜などの入り交じった景色で、池辺には花交という名の建物があり、池や滝にその名が残った。
茶祖堂
幕末の岡山藩家老の下屋敷から移築された茶室で、元は利休堂といい千利休を祀っていた。戦災で焼失したが、昭和36年に再建された。岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂と改められた。
梅林
幕末近くなって整備された梅林は、今では紅白合わせて約百本の木が植えられている。早春には紅白の花を楽しむことが出来る。
千入の森
春の芽吹きと秋の紅葉が美しい楓林で、古くから園内名勝の一つになっている。千入とは幾度も染めるという意味で、築庭当時からこの名が付いている。
新殿
幕末頃に出来た建物で元々は新御殿と呼ばれていたが、明治時代から新殿と呼ばれるようになった。銅板葺で高床となった10畳の座敷からは、園内南西の景色を広々と眺めることが出来る。
井田
昔は園内に広く田畑が作られていたが、今は井田だけがその名残を残している。井田とは中国周時代の田租法で、後楽園では幕末に田畑の一部を井田の形に作った。毎年6月の第二日曜日に、お田植え祭が行われる。
茶畑
茶畑は、築庭当時からこの位置にあり、背景のゆるやかな曲線を描く土手山と見事に調和している。江戸時代には、ここで作った葉茶は藩主が普段に飲むお茶として使われていた。毎年5月の第三日曜日には、茶摘み祭が行われる。
慈眼堂
池田綱政が1697年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀った。今日では空堂となっている。境内には、花崗岩を36個に割って組み上げた烏帽子岩、門、板張の腰掛などが残っている。
馬場と観騎亭
出口付近には馬場・弓場が設けられ、家臣が馬術・弓術の上達ぶりを藩主の前で披露するという行事が行われていた。藩主は観騎亭・観射亭からその様子を見たという。
鶴舎
昭和31年、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院の郭沫若氏から、戦後途絶えたままであったタンチョウ2羽が贈られた。その後、釧路市の協力もあり多くが生まれ育ち、現在は8羽が飼育されている。