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松山城の概要

松山城は、松山市の中心に位置する標高132mの勝山につくられた平山城。
関ヶ原の合戦での功績が認められた加藤嘉明により1602年から築城が開始され、加藤嘉明が会津に転封された後、蒲生忠知により完成された。蒲生忠知には跡継ぎがいなかったため、1635年には松平定行が松山藩に入り明治維新まで松平家の居城となった。
天守は松平定行により四層三重に改築された後に落雷で消失したが、1854年に再建された。
山頂に本丸、裾野に二之丸、三之丸がある広大な平山城で、現在の二の丸は二之丸史跡庭園、堀に囲まれた三の丸には美術館や図書館や市民会館などが建ち並ぶ。
天守閣からは360度の大パノラマが望め、道後平野に広がる松山市や周辺の街が一望できる大絶景が広がる。

住所 愛媛県松山市丸の内
TEL 089-921-4873
休業日 12月第3水曜日
営業時間 9:00~17:00(2月~7月)
9:00~17:30(8月)
9:00~17:00(9月~11月)
9:00~16:30(12月~1月)
料金 大人510円・小学生150円
アクセス 松山城ロープウェイ「長者ケ原駅」より徒歩10分
駐車場 ロープウェイ乗り場まで徒歩2分の松山城駐車場は、
2時間410円、以降30分ごとに100円。
ホームページ http://www.matsuyamajo.jp/
※データは取材時のものです。実際とは異なる可能性がございます。



見所と詳細情報

ロープウェイの長者ケ原駅から本丸へ

本丸及び天守のある勝山山頂へは4つの登城道で徒歩でも登れるが、松山城ロープウェイを使うと楽にアクセスできる。ロープウェイの長者ケ原駅から本丸へは徒歩5分ほど。

太鼓櫓

やがて石垣が見えてくると本丸への入口となる。ロープウェイ方面からアクセスする場合は、こちらの太鼓櫓を目指して進む。

戸無門

本丸の大手登城道に設けられた高麗門で、江戸時代から戸無門と呼ばれており、戸を吊る肘壺の痕跡もないことから、創建当初から扉を持たなかったと考えられている。国指定重要文化財。

筒井門

筒井門と奥の隠門は本丸大手の重要な固めで城内で最も堅固な建造物のひとつ。この脇戸付きの櫓門は、築城に際し正木城から移築されたと伝わる城内最古の建物のひとつで、1935年には国宝指定されたが、1949年に放火により消失した。1971年に再建。

隠門

隠門は、正門である筒井門の奥の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門で、隠門続櫓、筒井門東続櫓、筒井門、筒井門西続櫓と一体となった建造物となっている。戸無門を突破して筒井門に迫る敵には見えない位置にあり、敵の注意が筒井門に向いている隙に隠門から出て背後から襲う戦略を取る。

太鼓門

太鼓門は本丸の正門と位置づけられる櫓門で、巽櫓・太鼓櫓とともに、筒井門・隠門および続櫓で構成される第一防衛線に続く、第二防衛線として機能する。1935年に国宝指定されるが戦災で消失、現在の門は1972年に再建されたもの。

巽櫓

巽櫓は、本丸の南東(巽方向)に位置する2重櫓で、太鼓門と一体となり防衛線を構築する。1935年に国宝指定されるが戦災で消失、現在の櫓は1986年に再建されたもの。

本丸広場から望む本檀

本丸は広い広場になっており、売店などもある。南北300メートル、東西30~180メートルという全国有数の規模を誇る本丸となっている。背後には天守閣を擁する本檀が姿を現す。

井戸

本丸の端、太鼓門のすぐ脇にある井戸は、築城時に谷だった場所を埋め立てるのに合わせて泉を掘り下げ、石を積み上げて作られたと伝わる。深さは44.2m、水深は9mある。

馬具櫓

本丸の西側石垣の際に建つ馬具櫓は、二之丸方面の監視を行う二重櫓。1935年に国宝指定されるが戦災で消失、現在の櫓は1958年に本丸の防災ポンプ操作室として鉄筋コンクリート造で再建されたもの。城内で唯一、木造以外で再建されている。高さ14mを超える屏風折の石垣の壮大さにも注目!

拝観入口

松山城は本丸までの入場は無料。天守への入場は本檀の前のこちらで入場料を支払う。よしあきくんの人形も設置されていて本檀をバックに記念撮影もできる。

紫竹門東塀

紫竹門東塀は乾門方面からの攻撃に備えたもので、1748年に落雷で消失し嘉永期の再建とみられている。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

一ノ門

一ノ門は脇戸付きの高麗門で、本檀の入口となっている。1748年に落雷で消失し1786年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

ニノ門

ニノ門は本檀における2番目の門で、薬医門の形式をもつ。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

天神櫓

天神櫓は、本檀東北の隅に位置し、艮櫓・艮門・小筒櫓を防衛する役割がある。菅原道真(天満天神)の像を安置して城の安全を祈ったことからこの名がついた。戦災により消失したため、1979年に再建された。

三ノ門

三ノ門は本檀三番目の門で高麗門の形式をもつ。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

三ノ門南櫓

三ノ門南櫓は、三ノ門の奥に建ち、一ノ門・二ノ門・三ノ門を防衛する役目を持つ一重櫓。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

筋鉄門東塀

筋鉄門東塀は、筋鉄門の手前に建ち、一ノ門南櫓・一ノ門・小天守閣を防衛する役目を持つ。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

筋鉄門

脇戸付きの櫓門で、門の柱に鉄板が貼ってあるため筋鉄門と呼ばれる。櫓は天守閣と小天守閣を繋ぐ通路となり、三ノ門を防衛する役割を担う。

小天守

天守閣に次ぎ重要な二層二階の櫓で、大手・榒手を防衛するのに絶好の位置にある。創建当時は着見櫓と呼ばれていた。1748年に落雷で消失し1854年に再建されたが、1931年に放火により消失、1968年に再建された。

玄関多聞

玄関を上がったところで右側の内門櫓を経て天守閣へ通じる。天守閣の拝観入口はこちらではなく、天守閣の下となっている。1748年に落雷で消失し1854年に再建されたが、1931年に放火により消失、1968年に再建された。奥の櫓は北隅櫓。

大天守

創建時の天守閣は五層であったが、1642年に松平定行により3層に改築される。1748年には落雷で消失し、1854年に再建されたものが現在の天守閣。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。大天守から入場し、玄関多聞、北角櫓、南隅櫓、小天守を1周する拝観順路となる。

北隅櫓からの眺望

拝観順路は北角櫓からとなる。北角櫓は本檀の西北隅に位置する乾門・野原櫓および北郭方面を防衛する二重櫓。1748年に落雷で消失し1854年に再建されたが、1931年に放火により消失、1968年に再建された。右手前の野原櫓や、奥の乾門・乾櫓のバックに松山の街が広がる絶景!

城内展示

櫓や渡り廊下には様々な展示物が展示されている。展示物を見ながら複数の櫓を通り1周するため見ごたえのある内容となっている。北角櫓からは、十間廊下、南隅櫓を通り、小天守閣へ向かう拝観順路となる。南隅櫓は通過だけで上層には上がれない。

小天守から南東方向の眺望

小天守閣からは、本丸や、バックに広がる松山の街を見渡すことができる。圧巻の眺望は全国の城郭の中でも屈指のもの。

小天守から南西方向の眺望

南西方向に目をやると、手前には二の丸庭園や三の丸が望める。バックには松山の中心街や海も見渡すことができる。

大天守閣

1周回って最後には一番高い大天守閣からの絶景を拝むことができる。

大天守から東方向の眺望

東の方向を望めば、手前には艮門および艮門東続櫓、バックには道後温泉方向まで見渡すことができる。

大天守から南方向の眺望

南方向に目をやれば、手前右には小天守閣、奥には本丸広場が広がり、バックには松山市の中心街区が広がる光景を目にすることができる。

大天守から南西方向の眺望

南西方向を見た図。手前真ん中に見えているのは南隅櫓、その右の長い渡り廊下は十間廊下、左が小天守閣。バックには松山の街が広がり、海まで見渡せる。

大天守から北西方向の眺望

北西を見渡すと、松山市北西部を一望できる。バックには海と興居島まで見渡せる大絶景!

大天守から北東方向の眺望

北東方向には高縄山や北三方ヶ森などの山々が連なる。大天守からは360度どの方向を見ても大絶景が広がり、平山城としては全国屈指の大展望を誇る。

仕切門内塀

天守の拝観を終えると、仕切門を通って天神櫓に至り、往路と同じルートで帰路につく。仕切門内塀は、乾門方面に対し側防の役割をもつ。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。

仕切門

天守閣の北側に位置する脇戸付きの高麗門で、内門との間が枡形となっている。1748年に落雷で消失し1854年に再建された。1935年には国宝指定されるが、後の法改正で重要文化財となった。


地図とアクセス




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