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達谷窟毘沙門堂の概要

およそ1200年前、悪路王・赤頭・高丸等の蝦夷(えぞ)がこの窟に賽を構え、
民を苦しめるなどの乱暴な振る舞いを行い、国府もこれを抑えられなくなる。
そこで、桓武天皇が坂上田村麿を征夷大将軍に命じ、蝦夷征伐の勅を下され、
坂上田村麿は窟に篭る蝦夷を打ち破り蝦夷を平定した。

この勝利を毘沙門天のご加護と感じ、京都清水寺の舞台造を真似て精舎を建て、
108躰の毘沙門天を祀り毘沙門堂と名づけた。
そして802年に別當寺として達谷西光寺が創建される。
平泉の市街地からは少し離れた一関との中間地点だが、ぜひ訪れたい。

住所 岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16番地
TEL 0191-46-4931
休業日  
営業時間 8:30~17:00 (4月1日~11月23日)
8:30~16:30 (11月24日~3月31日)
料金 大人300円・高校生200円・中学生以下100円
アクセス 平泉駅より車で約10分
駐車場 無料
ホームページ http://www15.ocn.ne.jp/~iwaya/

※データは取材時のものです。実際とは異なる可能性がございます。

見所と詳細情報

入口と壱之鳥居

手前の受付で拝観料を支払って進む。手前の石造りの鳥居が壱の鳥居。後ろに見えている朱色の鳥居が弐之鳥居。

参之鳥居

参之鳥居の後ろには毘沙門堂が姿を覗かせる。

毘沙門堂

坂上田村麿の蝦夷平定を毘沙門天のご加護として、108躰の毘沙門天を祀るために建立された毘沙門堂。度重なる焼失で、現在のものは、昭和36年に再建された5代目。

岩面大佛

毘沙門堂の西方の約33メートルにもおよぶ大岸壁に刻まれた魔崖沸。前九年および後三年の役で亡くなった敵味方を供養するために、源義家公が彫り付けたと伝わる。地震などによりかなり崩落が進んでいる。

蝦蟆ケ池と辨天堂

蝦蟆ケ池(がまがいけ)は毘沙門道の前庭。池の中島の辨天堂(べんてんどう)に祀られる辨才天は、慈覚大師の作と伝えられる。

鐘楼

1615年の建立と伝わる。かつては450キロの洪鐘を吊っていたが、昭和19年に戦時供出。現在は昭和58年に新鋳された563キロの洪鐘を吊る。

姫待不動堂

悪路王等の蝦夷は、京からさらってきた姫君を上流の籠姫に閉じ込めた。逃げ出そうとする姫君を待ち伏せした滝(姫待瀧)の本尊を祀るお堂。元々は飛び地境内にあったが、1789年に現在の地に移された。

金堂

古くは講堂とも呼ばれ、802年に建立されるも焼失した。江戸時代には現在地に建てられた客殿が金堂の役割を果たしていたが、明治の廃沸棄却で破棄される。現在のお堂は平成7年に再建されたもの。

地図とアクセス

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